蕎麦之記

辛汁で、を基本に。

旅館ひのえまた

福島会津檜枝岐村手打ち蕎麦処・旅館ひのえまた  会津地方 ]  

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photo from 旅館ひのえまた[ 引用 ]

裁ちそば・山人料理( 税込13,000円〜 )





香り ★★☆
太さ ★★☆
出汁 節系の香り、岩魚節も使う
辛汁の量 十分
蕎麦湯 不明



薬味・小鉢など コース料理の一貫



粉の産地 檜枝岐産 ( 地粉、地産地消! )
製粉 不明、村施設? 地元農協?
割合 十割?
製麺 手打ち、裁ちそば





山人料理 ( やもうどりょうり ) 」は、尾瀬国定公園の福島側の玄関口・南会津郡檜枝岐村の 郷土料理。裁ちそば・山椒魚・はっとう・田楽・焼餅・焼魚( 岩魚 )・刺身・茸・山菜など、山で働く男たちが、米に頼ることなく地元食材を巧みに利用して高い栄養価を得るために模索したものだとか。 様々な料理に 蕎麦粉むき蕎麦 が使われているので、蕎麦好きには天国だ。ま、それ以前に一般的な温泉旅館の派手で豪華な和食などよりは、こうした郷土料理の方が好みだし、もてなす心が伝わって来るなぁと実感した、初めての宿だった。





photo from 旅館ひのえまた[ 引用 ]





女将が打った 檜枝岐そば裁ちそば 』 は、薄めで平たい感じのする いかにも女性的な 十割麺 。蕎麦の香り高く食べやすく、十割で こうもしなやかに仕上げられるとはと驚いたことを記憶している。蕎麦田楽 や むき蕎麦 なども味わえて、かなり嬉しかったのも、覚えている。





裁ちそば

蕎麦粉 100%、つなぎを一切使わないため、蕎麦生地を畳むとヒビなどが入ってしまい、千切れた蕎麦に仕上がってしまうため、畳まず数枚重ねた状態で布を裁断するように切ることから呼称されるようになった。檜枝岐そば 他、会津地方のそばも、この方法で手打ちされている。





立地 幹線道路沿い、村の中心地域( 国道352・401号線、会津沼田街道
店内外 ビル・旅館
卓上 なし
座席数 食堂のほかに? 個室 6席卓があった気がする?
サービス 行き届いている
BGM なし?USEN





山人料理

山人料理( やもうどりょうり )

photo from 尾瀬檜枝岐温泉観光協会[ 引用 ]





檜枝岐村といえば、歌舞伎 と 東北の最高峰・燧ケ岳 のある村と理解していたが、同じく日本百名山会津駒ケ岳 も属していたのだなぁ。それと、尾瀬国定公園群馬県側は 片品村 だと今回初めて知った。東日本大震災では 1,000人規模の避難者を即座に受け入れたというのは、記憶に新しい。





この、檜枝岐村片品村 を結ぶ 会津沼田街道 は、不思議な道である。現在では 国道 401号線 がそれに該当するのだが ( 国道 352号線 乗入 )、日本で唯一の、車両で県境を越えられない国道 だ。点線国道 とか、登山国道 とか言われるもののひとつ。檜枝岐の 七入〜片品 の 大清水小屋 まで ( 福島群馬県道 1号線 乗入 ) 一般車両は入れない。 要は、同店から群馬県を目指して車を走らせても、行き着く先は行き止まりと言う事になる。





昔は 尾瀬 を通過して群馬と交易があった。片品村の福島隣接部落には関所が置かれ、三平峠 手前の 「 三平下 」 と言う地点でモノのやりとりが行われていたらしい。上州(群馬・片品)側からは油・塩・日用雑貨、会津(檜枝岐)側からは米や酒。









戊辰戦争 時は、官軍侵攻を防ぐために 尾瀬大江湿原馬蹄型の土塁 が築かれたと言うからかなり驚く。いまでこそ 自然保護区のハイキング道 だが、昔は 交通の要衝、全く違った捉えられ方をしていたと言うことだ。









ちなみに、自動車で県境を越えられないのもうひとつの地域は、黒部 で有名な 長野富山間 ( 長野県道 45号線・富山県道 6号線 )。





それと、大江湿原防塁 は、会津軍が上州側に攻め入ったので使われることはなかったとか。草木が伸びていない季節にはまだ、見ることが出来るらしいので、ぜひ見つけに行きたい。





創業 不明





住所 福島県南会津郡檜枝岐村居平705
Site 〈 旅館ひのえまた 〉





※ 1990〜2000年頃訪問の記憶に後日情報付加して起稿。





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